14 いじめをなくそう
いじめをなくそう
これは私が小学校の時の担任のN先生の言葉である。
昨今のいじめや虐待のニュースを見るたびに思い出すエピソードがある。不快な思いをするかも知れないことをご承知いただきたい。
私が小学生の頃、T君という同級生がいた。
T君は、性格は明るかったが、どこか「おっちょこちょい」なところがあった。
私も、「頭のネジが1本抜けている」ようなところがあったため(今もあるが)、妙にウマが合った。
放課後、日が暮れるまでよく一緒に遊んだ(遅くなりすぎて、家から閉め出されたこともあったが・・・)。
当時の担任であったN先生は、何かにつけてクラス全員の前でT君を叱責した。
大人しいT君は、黙って下を向いていた。時に涙ぐむこともあった。
ある日のこと、運動会のリレーの練習中、次走者だったT君が前走者からバトンを受け取る時、前走者がバトンを落としてしまった。
前走者とT君がまごついている間に、あれよあれよと追い抜かれていった。
その後の授業でN先生は、「Tがへまをやったせいだ!」とクラス全員の前でT君を罵倒し、吊し上げた。
私は耐え切れず、「バトンを落としたF君(前走者)が拾ってT君に渡さないと失格になります! T君は悪くありません!」とN先生に反論した。
教室内の空気がみるみる凍り付くのを肌で感じた。
N先生は、苦虫を噛み潰したような顔で私を睨みつけた。
その日から少しずつ、「N先生がT君ばかり叱るのはおかしい。」という風潮がクラスに起こり始めた。
すると間もなく、N先生は、T君の代わりに私を槍玉に挙げるようになった。
ちょっと廊下を走った等の理由で、居残り掃除や校庭のランニングを命じられたことは一度や二度ではない。
そんなN先生は、クラスの標語に、
「いじめをなくそう」
と掲げていた。
N先生は、「T君や私を叱ることで、クラス全体の雰囲気を引き締めていた」と云うかも知れない。
しかし、どんな生徒にも個人の尊厳はある。
私は当時も今も、T君を庇った自分に非があるとは微塵も思っていない。
いじめや虐待は、それを行っている本人が自覚しない限り、決してなくならないものだと身を以て知った。